童貞。をプロデュース1 俺は、君のためにこそ死ににいく
自転車メッセンジャーのバイトをしている加賀賢三、23才。
半引きこもり状態だった彼は、異性とはセックスどころかキスの経験すらない。「純愛を経ないとセックスはできない」などとうそぶきながら、アダルトビデオを「汚い職業」と見下す高慢さとイケメンへのルサンチマンに満ち溢れたどうしようもないヘタレ男である。そんな彼に、片想いの女性まさみさん(仮名)に告白する根性はない。言い訳しか能のない加賀の姿に業を煮やした松江は、自分の職場であるアダルトビデオの撮影現場に彼を連行、スパルタ式に女性恐怖症を叩き直そうとするが…
童貞。をプロデュース2 ビューティフル・ドリーマー
ゴミ処理業の会社でバイトしている梅澤嘉朗、24才。実家の村(ものすごい田舎)で暮らしている彼は、B級アイドルや特殊マンガ家・根本敬などに心酔するサブカルオタクで、自分の部屋にか膨大な書籍や写真集やビデオを溜め込んでいる。彼が作った自主映画『独立宣言』は彼が想いを寄せる80年代アイドルの島田奈美に会う為、廃材を集めてタイムマシンを制作するという自作自演の作品だった。しかしすでに島田奈美は芸能界を引退し、本名の島田奈央子として音楽ライターになっているという。そこで松江は、何とか彼の映画を島田奈央子に見せようと考えるが…
監督:松江哲明
構成・編集・プロデュース:松江哲明
撮影:加賀賢三 梅澤嘉朗 しまだゆきやす
出演:加賀賢三 梅澤嘉朗 ほか
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『THIS IS BOSSA NOVA』は、1950年代後半にブラジルで誕生し、現在では世界中で愛されている音楽―ボサノヴァの物語である。
ボサノヴァは、それまでのブラジルのポピュラー音楽に見られていたハーモニーとビートを革命的なまでに変えた。そしてその美しいメロディと斬新かつロマンチックな歌詞で、“愛と微笑みと花”に満ちた輝ける時代を瑞々しく歌い上げてみせた。こうして、リオデジャネイロの若者たちから生み出された新しい潮流―ボサノヴァは、以降のブラジルのポピュラー音楽を根本的に変えることになったのである。そしてその潮流はやがて大きな波となり、62年にニューヨークのカーネギーホールで開催された『ゲッツ/ジルベルト』の大ヒットによって、国際的にも認知されるようになった。そしてその色褪せることのない永遠性から、生誕50年を経た今も、世界中で評価され続けているのである。
このムーヴメントの偉大な二人の現役作曲家である、カルロス・リラ(時代を超えた名曲「ロボ・ボボ」「もっとも美しいもの」「あなたと私」の作者)とホベルト・メネスカル(定番曲「小船」)によって物語を語られていく。この二人が、ボサノヴァが誕生したゆかりの地を再訪し、彼らがキャリアをスタートした頃のとっておきのエピソードやストーリーを披露する。長年の友人でもある彼らの会話は、あの忘れがたき時代をまざまざと再現してくれる。
『THIS IS BOSSA NOVA』には、カルロス・リラ、ホベルト・メネスカル、ジョアン・ドナード、アライヂ・コスタ、ジョニー・アルフ、レニー・アンドラーヂ、クリス・デラーノ、ジョイス、セルジオ・ヒカルド、ビリー・ブランコなど、世代を超えたボサノヴァのミュージシャン、作曲家、パフォーマーたちのインタヴューや独占ライヴ映像も満載されている。さらに、黄金時代のムーヴメントに参加したブラジル人ミュージシャンと国際的アーティストたちによる、貴重な独占アーカイヴ映像も多数含まれる。
映画は、ボサノヴァのリズム、歌詞、ハーモニー、ビート、とそれぞれのパートに分けられている。セルジオ・カブラルやタリキ・ヂ・ソウザ、アルトゥール・ダ・タヴォラ、ミエリやネルソン・モッタなど、ボサノヴァ文化に詳しい作家や評論家たちによって分析や解説がくり広げられてゆく。
ボサノヴァのマエストロであるアントニオ・カルロス・ジョビン(通称「トム」)とヴィニシウス・ヂ・モライスによって結成された作曲家コンビに、特別な賛辞が贈られる。
またボサノヴァのミューズ(女神)であるナラ・レオンには、映像、写真、録音物、アーカイヴ素材で、敬意を示している。
この映画は、決してたんなる知識の羅列なのではない。ざっくばらんにのびのびと描かれた、すぐれた音楽と美しい映像によるエンタテインメントを堪能できる2時間であり、また、ブラジルの文化的な最高傑作ともいえるボサノヴァ―世界中の人の耳とハートを虜にした音楽―の魅力をあますところなく伝えてくれる、きわめて貴重なドキュメンタリーである。
監督・脚本:パウロ・チアゴ
制作・グラウシア・カマルゴス
エグゼクティヴ・プロデューサー:ペドロ・アントニオ・パエス
出演:カルロス・リラ ホベルト・メネスカル ジョアン・ジルベルト アントニオ・カルロス・ジョビン フランク・シナトラ ジョイス ワンダ・サー ジョアン・ドナード イコ・カトロス・ネヴィス ジョニー・アルフ
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1957年、岐阜県徳山村にダム建設の話が広まった。総貯水量6億6千万立方メートル、日本最大のダムだ。当時徳山村の住民は、約1600人。みな次々に近隣の街につくられた移転地へと引っ越していった。
それでも、何家族かの老人たちが、村が沈んでしまうまでできる限り暮らし続けたい、と、街から戻って来た。
写真家の大西暢夫が初めて村を訪ねたのは今から15年前のこと。
だれもいないと思っていた集落に家があることに驚いた。以来、ジジババたちの暮らしに魅せられ、東京から徳山村まで片道500キロ、バイクで高速道は使わず山道を走り抜けて 何度も何度も通った。
そしてその村でジジババたちは大西を「兄ちゃん」と呼び,共にたくさん食べ、いっぱい笑った。
村には季節ごとに土地で採れるものを大切にする、暮らしの知恵や技がある。食卓にはいつも食べきれないほど大盛りのごはんが並び、山はジジババたちの笑い声に満ちている。
2006年秋、いよいよ工事が終わり、水がたまり始めた。
もう誰も、村に帰ることはできない。
ジジババたちの変わりゆく暮らしに寄り添った15年間の記録。
監督:大西暢夫
製作:本橋成一
編集:土井康一
撮影:大西暢夫
音響構成:米山靖
整音:渡辺丈彦
音楽コーディネーター:和田亨
音楽アレンジ:林祐介
音響助手:井上久美子
編集助手:岡野由美子
制作デスク:村上朝子 公文健太郎
経理:桐生潔
宣伝:吉田理映子 大槻貴宏 中植きさら
パンフレット編集:菅聖子
グラフィックデザイン:森デザイン室
録音スタジオ:ヒポ コミュニケーションズ
挿入歌:『星めぐりのうた』 歌=李政美 作詞・作曲=宮沢賢治
協力:(独)水資源機構 徳山ダム建設所 成瀬始
特別協力:本間克明
配給:サスナフィルム ポレポレ東中野
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被爆者14人の証言 勇気という名の希望
本作は、アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞に輝いたスティーブン・オカザキ監督が、25年の歳月をかけて完成させた渾身のドキュメンタリー映画である。
広島、長崎の原爆投下から60年余りを経た今、日本でも記憶が薄れつつあるが、アメリカをはじめ世界の多くの人々はいまだその被害の実態を知らず、被爆者の現実についてもほとんど知られていない。原爆の被害に対する認識と関心を、世界に呼び起こしたいと考えたオカザキ監督は、被爆者が高齢化していくなか、せきたてられるように日本を訪れ、実に500人以上の被爆者に会い、取材を重ねた。
14人の被爆者の証言と、実際に爆撃に関与した4人のアメリカ人の証言を軸に、貴重な記録映像や資料を交え、ヒロシマ・ナガサキの真実を包括的に描いた本作。被爆者の想像を絶する苦悩に向き合い、彼らの生きる勇気と尊厳を深く受け止め、私たち観る者を圧倒する。
今、作らなければ 今、伝えなければ
スティーブン・オカザキ監督は1952年ロサンゼルス生まれの日系3世。英訳の「はだしのゲン」を読み広島、長崎の原爆投下に関心を深めたオカザキは、1981年に広島を初めて訪れ、被爆者を取材した第1作「生存者たち」(82)を発表。日系人強制収容所を描いた作品「待ちわびる日々」(91)で」アカデミー賞ドキュメンタリー映画賞を受賞した。
アメリカでは原爆投下が「戦争を早期に終わらせ、日米両国民の命を救った」との認識が強い。オカザキ監督はヒロシマ・ナガサキの事実を伝え、核の脅威を世界に知らしめることを自分の役目と考えるようになる。
被爆はら50年の1995年、米スミソニアン協会で開催される予定だった原爆展は日本側の期待も大きかった。しかし、米国内の猛反発で中止になり、展示にともなう彼の映画製作も突然中止になった。
このことは彼に大きな精神的痛手を与えたが、それでも取材をあきらめることなく続け、胎内被爆の現実にも迫った中篇「マッシュルーム・クラブ」(05)は2005年アカデミー賞にノミネートされた。
そして2007年、アメリカHBOドキュメンタリーフィルムの援助により完成した「ヒロシマナガサキ」は彼のこれまでの映画人生におけるひとつの到達点ともいえる。
いつか来た道に、ふたたび戻らないために
現在、世界には広島に落とされた原子爆弾の40万個に相当する核兵器があるといわれる。また2001年9月11日の同時多発テロ以降、世界的緊張とともに核拡散の危機が急速に高まり、核兵器による大量殺戮が現実化する恐れも出てきた。
このような状況のなか「ヒロシマナガサキ」は、2007年、広島に原爆が投下された日である8月6日に全米にむけてテレビ放映される予定である。本作は、アメリカのみならず世界中の人々に、広島、長崎で何が起きたかを知らしめ、核兵器の脅威に対して強い警鐘をならす作品になるだろう。
監督:スティーブン・オカザキ
配給:シグロ・ザジフィルムズ
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可能性は無限大。目の見えない子供たちがエベレストを目指す。
世界中で熱い支持を受け、ベルリン映画祭をはじめ各国の
映画祭で数々の観客賞を受賞。
チャレンジすることの大切さを教えてくれる
感動のドキュメンタリーが世界に先駆け日本で初公開
悲しいことにチベットでは、盲目の人は前世の悪行が原因で悪魔に取り憑かれているという古くからの言い伝えがあり、盲人の多くはひどく差別的な扱いを受けてきた。そして盲目の子供たちは、親からも社会からも拒絶されるという悲しい現実に直面していた。そんな子供たちに救いの手を差し伸べたのは、自身も盲目のドイツ人教育者サブリエ・テンバーケン。チベットへの入国に難色を示していた中国政府当局の反対を押し切って単身チベットに渡った彼女はチベットで初の盲人のための学校を設立する。数年後、盲人として史上初めてエベレスト登頂に成功したアメリカ人登山家、エリック・ヴァイエンマイヤーに感銘を受けたサブリエと子供たちは、登山のワークショップを開いてもらう為に彼を学校へと招待する。そのことがきっかけで、やがてエリックは子供たちにエベレストの北側、標高7000メートルのラクパリを目指すことを提案する。子供たちのとてつもない挑戦が始まった。
一歩ずつ大地を踏みしめる子供たちの姿が胸を打つ。
葛藤と苦難を乗り越え、子供たちそして大人たちは何を得るのか?
息をのむような絶景のヒマラヤ山脈を背景にした本作は、盲目の6人の少年少女が目標を達成するために精一杯の勇気を出し、チャレンジする姿を追った感動のドキュメンタリー。しかしながら、本作は“困難に立ち向かう勇気の物語”というステレオタイプの作品ではない。実は、一筋縄ではいかない複雑な要素が絡んで雪だるま式に文化的衝突の観察へと形を変えていく。過酷な状況の中で登山者たちの間に生じる身体的な違い、ヨーロッパ文化対アメリカ文化、教育者対スポーツマンなど、様々な衝突に着目しながら、シンプルかつ重要な「子供たちはなぜ登っているのか?」という疑問を浮き彫りにしていく。大人たちの価値基準での成功論、ヒーロー論、コミュニティー論に対して知的に一石を投じるのである。 その一方、カメラは全編にわたって子供たちの自然体なリアクションを引き出すことに見事に成功。何よりも暗闇の中で手を伸ばし、無限大の可能性に向かって一歩ずつ大地を踏みしめる小さな登山者たちの姿が、胸を打つ。
一通のメール
前代未聞の登山隊の発足は、チベット初の盲人学校「Braille Without Borders(直訳:国境なき点字)」をラサに創立した盲目のドイツ人教育者、サブリエ・テンバーケンが、世界的に有名な盲目の登山家、エリック・ヴァイエンマイヤーに送った一通のメールから始まる。以前エリックの著書『全盲クライマー、エベレストに立つ(原題:TOUCH THE TOP OF THE WORLD)』を子供たちに読んで聞かせたことがあったサブリエは、2001年にエリックがエベレストを登頂したニュースを聞いて、是非彼に連絡をとってみようと思いたったのだった。
一通の手紙が、壮大な旅路、そしてこの映画へと続く導火線となった。
『ブラインドサイト』というタイトルにこめられた意味
「『ブラインドサイト』というタイトルは、あえて「ブラインド(盲目)」というタイトルから背かず、面と向うべきだと思ったし、さらには映画同様に、ユニークな言葉を用いたいと考えていた。『ブラインドサイト』という言葉は、盲人たちが、読んで文字の如く、チベット社会から「見えない存在」のように扱われているという意味が込められている。造語だと思っていたら、調べてみると、医学用語として存在していた言葉だった。大脳皮質で起きている症状により、視覚障害を持つ人々は、知覚的な視力をもつ現象を指す。
blindsight・・・・・・・・・・ブラインドサイト
「見える」「見えない」という視覚とは、別の側面を持つ視覚が存在していることを示している。それは主観的には外界を視覚的に認識(色や形やサイズなどの情報が視覚化されて意識に上がる状態)されていないものの、意識に至る視覚経路とは別の神経系を介して神経情報処理が進んでいることを意味していると考えられる。「何かが見えた」と主観的な視覚が存在するのに対し、身体的には外界からの刺激を受け止めているのに関わらず、意識(主観)に上がらない水準の視覚があることを意味している。
岡山県立大学 障害・行動科ラボホームページより引用
監督:ルーシー・ウォーカー
プロデューサー:シビル・ロブソン・オアー
製作総指揮:スティーヴン・ハフト
撮影監督:ペトル・シックハート
山岳映像:キースパートリッジ
音楽:ニティン・サウニー
配給:ファントム・フィルム
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悲劇か、狂言的行動か
太平洋戦争の末期、日本軍は爆弾を搭載した軍用機を搭乗員ごと敵艦に体当たりさせる特攻作戦を繰り出し、何千もの命が散らされていった。戦後、日本ではこうした特攻隊員たちの自己犠牲の精神は、戦争がもたらした大いなる悲劇の一つとして、哀悼の意がささげられている。しかし海外では、これを“KAMIKAZE”なる狂言的な行動の象徴と捉えられることが多く、特に9.11ニューヨーク同時多発テロ事件以降は、自爆テロと特攻隊を結びつけて語られることも増えてきている。
ふたつの国の目をもつフィルムメーカーが見据えた“TOKKO”
映画『TOKKO 特攻』は、日系二世アメリカ人監督リサ・モリモトの視点から、日本の特攻隊員たちの忘れられない真実に迫る長編ドキュメンタリー映画である。彼女は自分の亡き叔父が戦時中に特攻隊員として訓練を受け、戦後はそれを誰にも語らなかったことを知って衝撃を受け、彼の足跡を追うべく日本を訪れた。海外では訓練を受けた特攻隊員の中に何百人も生存者がいることはほとんど知られていない。なぜ彼らは特攻を志願したのか。自らの命を捨てる行為に恐れはなかったのか。そして叔父はなぜそのことを自分だけの胸の内に秘めて、この世を去ったのか? 彼女は親族や、特攻隊員の生存者たちにカメラを向け、彼かの驚くべき体験談に耳を傾けていく。
さらにプロデュースと構成を手がけたのは日本映画の英語字幕の第一人者といて知られるリンダ・ホーグランド。日本人のルーツを持つアメリカ人であるリサ、そして日本で生まれ育ったアメリカ人であるリンダ。日本とアメリカ、かつて敵対していた双方の国と大きな繋がりを持つ二人の作り手たちが、それぞれの国に今もなお残る「カミカゼ」伝説に光を当てていく。
特攻とは何かを探るためのユニークなアプローチ
アメリカ側の取材では、特攻によって沈没した米駆遂艦の乗組員の生存者たち、すなわち特攻隊と直接“出会った”人々に出会うことができた。彼らにとっても忘れ得ない記憶がカラーで残されていた特攻機激突の瞬間を記録したフィルムとともに生々しく語られている。さらにはグラフィックアニメーションによるさまざまな映像的仕組みを交えながら、特攻とは一体なんだったのかが浮き彫りにされていく。
完成した本作は、カナダのトロントで行われた北米最大のドキュメンタリー映画祭でプレミア上映され、世界中の観客たちの深い衝撃と反響を呼び、急遽日本公開が決定した。
世界、そして日本の危機に向けてのメッセージ
戦後六十年を過ぎ、当時の証言者たちも高齢となって、次第にその記憶が人々から薄れてゆくとともに、世界中が次なる戦争の危機に常に見舞われている現在、日本でも平和憲法の改正が唱えられている。こうした動きはかつて日本が軍事国家の道を進んでいった経緯と似てはいないだろうか。
それまで特攻をテロリストと同時の自滅的な狂人“KAMIKAZE”と重ねるアメリカの風潮を身をもって感じてきた監督とプロデューサーが対峙する特攻の真実は、日米両国の視点から第二次世界大戦の歴史を再考するための、戦後しか知らない世代が未来を生きていくための、貴重な手がかりを伝えている。
監督・プロデューサー:リサ・モリモト
プロデューサー:リンダ・ホーグランド
エグゼクティブ・プローデューさー:寺尾のぞみ ジョシュア・レビン
アソシエート・プロデューサー:服部史子
撮影:フランシスコ・アリワラス
編集:マヤ・スターク
美術:ジョー・ウー
アニメーション:ジェフ・カストロ
音楽:エクストリーム・ミュージック
作曲家:松岡碧郎
配給:シネカノン
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カラハリ砂漠の一面に位置する誇り高い王国。王国を支配する年老いた雄ライオンと二頭の雌ライオン。彼らに襲いかかる過酷な自然の猛威とさまざまな試練。王国の支配権をねらう若い雄ライオンとの壮絶な戦い……。カラハリ砂漠を舞台に、ジャイアントスクリーンに展開する壮絶な映像叙事詩。「カラハリのライオン」は、ボツワナカラハリ砂漠で王国をまもる真の王者と、その王国をねらう獰猛な若い雄ライオンが繰り広げる生死をかけた戦いへと観客を誘います。巨大な乾きの大地カラハリ砂漠。貴重な水場をめぐって展開する弱肉強食のドラマ。王者を威嚇する巨大なゾウの群れ。子育てをする雌ライオン。そしていよいよ決戦の時が…。
監督・カメラマン:ティム・リバーセッジ
制作:ナショナル・ジオグラフィック ティム・リバーセッジプロダクション
配給:Destination Cinema 株式会社さらい
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